ますたーの研究室

英詩を研究している大学院生が、日常に転がるあらゆる「大好き」な物事を気ままに考察・研究するブログです。

「俺たち」のための最高のポケモン映画―『劇場版ポケットモンスター キミにきめた!』

1. 20周年記念作品としての『キミにきめた!』

 

今年も遅ればせながらポケモン映画を劇場で観賞しました。

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作品の感想を一言で言うと、タイトルの通り「『俺たち』のための最高のポケモン映画」でした。基本的に毎年ポケモン映画は劇場に足を運んで観に行っていますが、今年の作品は文句なしにおすすめできます。ぜひ多くの人に観てほしいですし、特に私と同年代くらいで「昔はポケモンをよく見ていたけど、最近はもうあんまり見なくなっちゃったなあ」という方に強くお勧めしたいです。『キミにきめた!』は、まさにそんなあなたのための映画です。

 

 

今日は備忘録も兼ねて『キミにきめた!』の感想を綴っていきます。なるべく作品の核心部分には触れないようにしますが、多少ネタバレしている部分があるので、まだ観に行ってない方はご注意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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まず最初に指摘しておくべきこととして、本作は例年のポケモン映画の型を大きく外してきているということが挙げられます。

 

例年ですと、ゲストとなる伝説やら幻やらのポケモンが1~2体いて、そのポケモンにまつわる出来事や事件にサトシ達一行が介入し物語が展開されていく、という構成が取られています。この基本的な路線は第一作目である『ミュウツーの逆襲』から昨年の『ボルケニオンと機巧のマギアナ』に至るまで特に大きく変わることはありませんでした。

 

ところが、本作はアニメシリーズの初代第1話を中心に初代シリーズをまるまる再構成するような形式で作劇がなされており、主人公であるサトシに大きくフォーカスが当たっています。本作のテーマは「サトシとピカチュウの絆」であると同時に「サトシの成長」でもあると言えると思います。

 

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↑『Febri』第43号。ご覧の通り『プリアラ』目当てに買いました。

 

2017年9月発売の『Febri』第43号に、藤津亮太氏による「主人公の条件」というコラムが掲載されています。そこでサトシと『キミにきめた!』について言及されており、非常に興味深いので少し紹介してみることにします。

 

アニメが長続きするための方策として「成長しない主人公像」を描くという手法があります。テレビ番組は視聴者の継続的な視聴によって支えられる部分が多く、それに則るためには「いつ見てもおなじみのノリが楽しめる」ことが重要になってきます。そして、それを実現するにあたって「主人公が成長しない」というのが非常に相性がいいのです。

 

本コラムでは『ドラえもん』や『水戸黄門』が例として挙げられていますが、『ポケットモンスター』についても同じことが当てはまります。主人公サトシは我々視聴者に旅立ちを見せてからもう20年が経ちますが永遠に10歳ですし、各シリーズを振り返ってみても、主人公サトシと一緒に冒険するヒロイン主人公の成長が物語の重点になっていると考えられます(ハルカ、ヒカリ、セレナ等々)。

 

特に2013年から16年にかけて放映された「XY」「XY&Z」シリーズのサトシは間違いなく歴代最強で、見た目的にも精神的にもかなり成熟の進んだ大人なサトシが描かれました。ゲッコウガを筆頭とする手持ちポケモンの強さやバトルタクティクスの巧みさも歴代随一で、マジでリーグ優勝を果たし、ポケモンマスターという夢の実現に大きく近づくのではないかと思いながら見ていました(実際のところカロスリーグでは歴代最高となる準優勝という戦績を残しています)。

 

 

そんな「成長しない主人公」サトシですが、本作ではそれまでの「ある種のタブー」を冒し、時間軸を一気に20年前まで戻して旅立ちの部分から新たに描写を積み上げることによって、「ゼロから成長していく主人公像」を惜しみなく描いていきます。本作においては、ポケモンや人との出会いを通じてサトシが明確に成長を遂げていくのです。

 

 

主人公サトシの成長を描く。

 

アニメでは『サン・ムーン』シリーズから構成やテイストを大きく方向転換したということもありますが、最近のポケモンアニメが描いてこなかった、あるいは意図的に避けていたテーマについて、あえてこの20周年という節目の年に真正面から取り組もうとしているという気概を感じました。

 

2. 「俺たち」の20年分の思い出補正

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「俺たち」とめっちゃ雑にくくりましたが、率直な印象として、本作のメインターゲットは今のちびっ子ではなく「当時リアルタイムで初代ポケモンアニメを視聴していた層である、現在20代~30代の若者」に強くフォーカスが当たっていると感じました。

 

本作はアニメ初代1話のオマージュであると同時に、「もしあのときホウオウがサトシににじいろのはねを渡していたら」と分岐したパラレルワールドの話、いわば「if」の物語であると解釈できるのですが、本作では初代シリーズの流れをなぞる形でサトシの冒険が再構成されていきます。

 

ヒトカゲのくだりや「バイバイバタフリー」のくだりはもちろんのこと、本作でのあらゆる描写が、新しく観るはずなのに「どこかで見たことがあるような気がする」という感慨を抱かせるのです。

 

出てくるポケモンのチョイスもまたずるい。もちろん、マーシャドーを始めとして『S・M』以降の新ポケモンも顔を出すのですが、ピカチュウリザードンバタフリーを筆頭として、イワーク、プリン、オコリザルエンテイポッチャマルカリオレントラー等々、なんというか「脳内で勝手に思い出補正がかかる」ような面々ばかりチョイスされているような印象を受けると同時に、観賞中は何度も思い出や懐かしさでいっぱいになったのを強く覚えています。個人的にはラプラスのくだりが一番「うぉぉぉ」となりやばかったです(語彙力)。

 

このように、本作にはずっとポケモンアニメや映画を観続けてきた往年のポケモンファンが喜ぶファンサービスがてんこ盛りです。だからこそ、「俺たち」のための最高のポケモン映画であると言えますし「最近ポケモンはご無沙汰だなあ」という方にこそ観ていただきたいのです。「すべてのポケモンファンに捧げる」という謳い文句に嘘はありません。

 

3. ポケモンと人間の絆

スクリーンに映る物語によって生まれた「思い出」の波に終始溺れかけていた一方で、もう一つ大きく印象に残ったのが「ポケモンがめっちゃ生き生き動いている」ということです。特に「人間とは全く関係のないルールで回っている野生ポケモンの姿」というのをかなり久しぶりに見たような気がします。

 

というのも。ゲームの『X・Y』から「メガシンカ」という要素が導入されて以来、ポケモンシリーズでは「ポケモンと人間の絆」というのが中心的なテーマになっていました。アニメ・映画での「XY」「XY&Z」シリーズでもメガシンカにまつわる描写を通して「ポケモンと人間の絆」が表象され、壮大な物語が展開されました。

 

これはこれで大変良かったのですが、「ポケモンと人間の絆」を描けば描くほど、常にポケモンが人間と共にあるような描かれ方に固まっていき「人間に関係なく自由に動き回るポケモンの姿」の描写はかなり影を潜めるものとなってしまい、私としてはそれに少なからぬ不満を感じていました。

 

ところが、本作ではメガシンカが登場しないこともあり、「XY」「XY&Z」シリーズで描かれ続けてきた「ポケモンと人間の絆」の表象とは違った観点から「ポケモンと人間の絆」や「ポケモンと人間の在り方」が描かれていきます。

 

嵐という自然の脅威の前では人間もポケモンも等しく無力な存在であること、エンテイがサトシ達の横でか弱いポケモンを保護するために休息をとること、人間に邪魔をされて怒るオニスズメイワークオコリザル等々、「ポケモンにはポケモンの世界の掟があり、それを人間は尊重しなければならない」ということが様々な描写を通して伝わってきます。野生に生きる動物のドキュメンタリーを見ているような、そういう印象をポケモンから感じるのは非常に久しぶりでした。

 

本作で再現される「バイバイバタフリー」のくだりも、サトシと冒険を続けるか、恋人と共にバタフリーの群れで暮らすかをサトシとバタフリーに決断させる重要なイベントです。そこでサトシもバタフリーも別れを決断するところに、ポケモンと人間のつかず離れずないい距離感を感じ、なんというか「以前に何度も見たことがあるのに、かえって新鮮に感じる」という不思議な感覚を覚えました。もちろん同時に泣いていたのは言うまでもありません。

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↑スカーフを持たせて上から複眼「ねむりごな」をキメるのにはまった時期があります。バタフリーきゃわわ。

 

4. 「ずっとポケモンを観続けてきてよかった」と思える

ここまで長々と感想を語ってきましたが、実はまだまだ語りたいことがたくさんあります。

 

 

特に、観ていて「え!?」となった衝撃的なシーンが3つほどあるのですが、これは本作の大きなネタバレとなるため本記事ではあえて触れませんでした。公開がひとまず終了し、また触れる機会があったら言及するかもしれません。

 

 

東京大学ゲーム研究会」の『ポケモン特集号』で現在私が展開している「ポケモン文化論」の一連の議論において、私は今メガシンカを中心に「ポケモンと人間の絆」の表象のされ方に注目しており、次の原稿では間違いなく『キミにきめた!』を分析・解釈・批評していくことになります。執筆や入稿の時期が近づいて来たらまた宣伝しようと思いますのでお待ちください。

 

 

これを執筆したあとに色々と検索をしてみたら、本作はかなり賛否両論があるようです。確かに、カスミもタケシも出てこないところも含めて、本作によって思い出を強引に上書きされたという印象を抱く人もいるかもしれません。しかしながら、私は本作を観て「ずっとポケモンを観続けてきてよかった」と思えましたし、色々と腑に落ちない点もあるものの、純粋に最高のポケモン映画であったと評価しています。私としてはぜひ多くの方に、まだ間に合ううちに観に行ってほしいと思います。