ますたーの研究室

英詩を研究している大学院生が、日常に転がるあらゆる「大好き」な物事を気ままに考察・研究するブログです。

「スイーツを作る」ことの意義―『映画キラキラ☆プリキュアアラモード パリッと!想い出のミルフィーユ!』

1. はじめに~もうだいぶ前に観に行ったわけです~

 

プリアラ』の映画『パリッと!想い出のミルフィーユ!』(以下『パリッと!』)を11月中旬ごろ観に行きました。

 

 

 

今日は、今さらながら『パリッと!』の感想記事をアップしようというわけですが、なぜこんなに遅くなったかというと、11月末にかけて本業の研究やら発表やらが忙しくて全然まとまった時間がとれなかったからです(ようやく「英文学」「ロマン派」「詩」以外のことを考える・書き上げる時間ができてテンションが上がりますね!!)。

 

 

まずは、映画の感想を一言で申し上げると「はじめての劇場でのプリキュア映画観賞が本作でよかった」となります。

 

 

私が本格的にプリキュアを視聴するようになったのは2013年の『ドキドキ!』からですが、実は今回初めて映画館でプリキュア映画を観賞しました。

 

 

噂には聞いていましたが、ちびっ子が「プリキュアがんばれー!」とミラクルライトを振る様子を上から眺めた光景は、真っ暗な夜空に煌めく星のように綺麗で、その高いライブ感も相まって、「プリキュア映画は劇場で見るべきなんだな」ということがわかりました。

 

 

 

さて、以下本作の具体的な感想に入って行くので、ネタバレ注意と申し上げておきましょう。まだ未観賞の方はご注意いただければと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2. 「クッキング・コメディ」としての『プリアラ

本作で一番笑ったシーンがこれです。

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↑「うまいぞー!!」

 

 

 

申し訳ありません。『プリアラ』と間違えて『ミスター味っ子』を貼ってしまいました。

 

 

 

 

 

キラピカとジャン・ピエールの衝撃的な出会いの場面です。

 

 

「パティシエはいついかなる状況でも調理を続けなければならない」という矜持のもと、キラピカを追いかけてきたカラスや暗闇をもろともせずに、「心の鼻」と「心の目」を使って躍るように調理を続けるジャン・ピエール。

 

 

もうこの描写の段階で相当キテるわけですが、やがて出来上がったミルフィーユを一口食べたキラピカは、その美味しさにたまらず口から大量のキラキラルをドバっと吐き出します。

 

 

ここが本当に面白すぎて耐えられませんでした。一人でマジでゲラゲラ笑いました。

 

 

本作は「クッキング・コメディ」として見ることができると思います。というか、マジで『ミスター味っ子』でしたよね、この辺。

 

 

プリアラ』では当然ながら「スイーツ作り」が物語の根幹をなす重要なコンセプトなわけですが、本作ではその「クッキング」のまた新たな一面が描かれていたと言える気がします。クッキングはまたギャグとも相性がいい。本当にここは爆笑するくらい面白かった。

 

↑修業時代の回想ではキラピカ姉弟とジャン・ピエールの絆も見えてよかった

 

3. 「多様性」の表象 

プリアラ』を語る上で外せないのが「多様性」というキーワードです。

 

いよいよクライマックスを迎えつつあるテレビの本編でも、「多様性」が色濃く表象されるようになってきました。

 

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これは、第38話「ペコリン人間になっちゃったペコ~!」でのカットですが、これは『プリアラ』のメッセージを端的に象徴している非常に重要なシーンだと思います。

 

 

人間と妖精と動物が、「スイーツ」を通じて種族的な垣根を越えて輪を形成する。

 

 

プリアラ』において「スイーツ」は様々な意味を持つ重要なアイテムでありかつ概念となっていますが、ここでは「多様性を言祝ぎつつもみんなを笑顔にするアイテム」としての役割を演じています。

 

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また、似たような作劇を行った2015年の『Go! プリンセスプリキュア』第33話「教えてシャムール♪ 願い叶える幸せレッスン!」と比較して、「動物さんたちが食べても大丈夫な材料でできている優しいスイーツ」というフォローがなされているところが、より好感を持てるようになっていると感じます。

 

 

それに対し、敵がとってくる手段が「不寛容の増大」による「他者の排斥」。

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第35話「でこぼこぴったり!ひまりとあおい!」で登場した人々はすごく感じ悪くて嫌な大人として描かれていましたが、ディアブルは闇を使うことで「普段は抑えていた他者に感じるネガティブな感情をあふれ出させる」という、なんともリアリティがある小癪な手段で「多様性」への攻撃を行います。

 

 

また、最近では「個人の心の闇を増大させる」というまどろっこしい手順をすっ飛ばして「仮面をつけた闇人形へと変容させる」という直接的な手段を用いるようになりました。 人形がコミカルに描かれているとはいえ、結構恐ろしいことだと思います。

 

 

このように、人を単一な存在へと変容させ強制的に支配しようとする「闇」に対し、「光」は個々の多様性を守る形で対抗しようとします。

 

 

「みんなそれぞれ違うのに、それを一つの闇に染めあげるなんておかしいよ!」とこういう論理なわけです。

 

 

これは本当に現在様々な作品で繰り返し表象されるテーマだと思っています。

 

「多様性」は非常に気になっているテーマで、本業の文学研究においても、本格的に問題の中心に据えている概念でもあります。

 

 

さて、本作では「ホイップたちが本来の動物のロールを奪われ、持ち味としていた特技を失ってしまう」という描写がなされました。

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うさぎの機動力、りすの素早さ、らいおんの勇猛さ、ねこの気まぐれさ、いぬの勇敢さが奪われ、ホイップはのろのろ歩くかめに、カスタードはよちよち歩くペンギンに、ジェラートは怠惰ななまけものに、マカロンはぽけっとしているぱんだに、そしてショコラは後ずさりしてしまうザリガニに、変えられてしまったわけです。

 

 

これは映像的にはとても楽しい演出で、子供たちもかなり盛り上がっていた場面なのですが、この描写のすごいところは、「多様性」という『プリアラ』の理念的な問題へと含みを持たせている点です。

 

 

かめホイップはかめの甲羅の防御力を生かし、ぺんぎんカスタードは水中での高い機動力を見せつけ、なまけものジェラートは楽ちんな方法で怠けながら戦い、ざりがにショコラは後ろ向きで「おしりパンチ」を決めることで、このピンチを脱します。

 

 

……ぱんだマカロン?彼女はいつも以上に気まぐれな愛嬌を振りまいていたからそれで良いのではないでしょうか。

 

 

とにもかくにも、これは金子みすゞが言うところの「みんなちがって、みんないい」(「わたしと小鳥と鈴と」)の表象に他ならず、いつもと違う動物に変えられ一時はピンチに陥りつつも「動物のそれぞれの持ち味」を見つけ出し、それを生かすことによって苦境を打開するという描写は、「多様性」の称賛と結びつくと言えるでしょう。

 

 

ここは本当にすごかった。楽しくて愉快なギャグ描写の中に、『プリアラ』が大切にしてきた思想的なメッセージをしっかりと織り交ぜてくる土田監督の手腕に脱帽です。

 

4. 「シエルが肯定する」物語

「多様性」を称揚することは、あらゆることを肯定することにつながります。

 

 

今作はシエルの物語として、師匠であるジャン・ピエールのやり方を否定しない(肯定する)ところが骨子だったと思います。

 

 

第37話でも「なぜシエルがパリではなくいちご坂を選ぶのか?」と「一人で専心し修行に励む方法」と「仲間と助け合いながら日々成長する方法」の対立が描かれましたが、本作でも師匠と弟子の間で「孤高」vs「協調」の対立は先鋭化することになります。

 

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シエルとしては、いちかを始めパティスリーの面々と出会えたからこそ「誰かのために気持ちを込めて作ったスイーツは素晴らしくキラキラルを秘めている」という、今までの自分になかった新たな知見と方法論を得られたわけで、だからこそパリではなく仲間たちと成長できるいちご坂を選んだわけです。

 

 

「究極のスイーツ」に自我を乗っ取られ、世界の全てをスイーツに変えるべく暴走する師匠を止めるために選んだ手段は、「想い出のミルフィーユ」を食べてもらい、今の自分の成長と師匠への思いを伝える、という方法でした。

 

 

シエルはジャン・ピエールに、少々長めの台詞を用いて「仲間を作ることをおすすめするけれども、孤高を貫くあなたのやり方も否定しない」と、ジャン・ピエールを肯定します。

 

 

シエルは「私は私を否定しない」と今までの自己を受け入れることによって、キュアパルフェに変身しました。そして、今度は師匠であるジャン・ピエールを肯定します。

 

 

こうして、自己だけでなく他者も肯定できるようになったシエルの姿はまさに成長です。これがしっかり描かれていたのが、観劇後の深い余韻につながったのではないかと思っています。

 

5. 「スイーツを作る」こと

プリアラ』全体の特徴として私が強調しておきたいのは、『プリアラ』の作品世界においては「悪を退ける方法」は基本的に「スイーツを作る」に一貫していることです。

 

 

ここで、再び第38話のあの場面を想起したいですが、「スイーツ」は「多様性の肯定」に直接的なつながりを持つキーアイテムです。

 

 

第40話、第41話でもパワーアップしたグレイブに対抗するためにとった手段は「スイーツを作りキラキラルを生産する」というものでした。物語世界においては「スイーツを作る」ことが非常に重要な意義を持っていることは言うまでもないことです。

 

 

本作でも、暴走するスイーツオバケを止めるべく、暴走するジャン・ピエールを正気に戻すべく、「想い出のミルフィーユ」を作ることにプリキュアたちは邁進します。ミラクルライトでの応援も「パルフェの変身」と「ミルフィーユの完成」に焦点が当てられます。

 

 

なぜなら、「スイーツ」は「多様性を肯定するアイテム」であるだけではなく、「大好きという思いを伝えることができるメディア」でもあるからです。

 

 

この映画のクライマックスは、敵を力技で倒すのでもなく、止めるのでもなく、「スイーツを作る」ことにあります。

 

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フランス語で「1000枚の葉」(Mille Feuilles)を意味する「ミルフィーユ」は、生地を重ね合わせて作られるスイーツです。このミルフィーユは、シエルがこれまで蓄えてきた、パティスリーの仲間たちへの思い、ピカリオへの思い、師匠への思い、スイーツへの思い、また、いちかたちの思い、そして、ミラクルライトを振るという経験を通して物語世界へと繋がった、私たち視聴者の思い、これらたくさんの人々の思いが積み重なっていることを象徴的に表現している、という解釈も可能でしょう。

 

 

「スイーツを作る」という戦い方は、これまでの『プリキュア』作品にない新たな文法を付け加えてくれたと思います。

 

6. おわりに

さて、ここまでだらだらと『パリっと!』の感想を書いてきましたが、なんとなく散逸的になってしまった気がします。申し訳ありません。

 

とにかく、たくさん笑いが詰まっている中に「心の中にしっかりと残る何か」がある映画であったように思います。

 

最初に述べたことを繰り返しますが、初めてのプリキュア映画の劇場での鑑賞が本作で本当によかったです。

 

 

さて、第4クールに入り最後の個人回を迎え、いよいよ『プリアラ』も佳境です。

 

「多様性の肯定」と「大好きという気持ち」、「人々の心の光と闇」そして「スイーツ」の表象に、最後まで注目して見届けようと思います。

 

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↑キュアキラリンがくっそかわいかった