ますたーの研究室

英詩を研究している大学院生が、日常に転がるあらゆる「大好き」な物事を気ままに考察・研究するブログです。

「世界、世界、世界はまわる」都市の詩の100年間ー T. S. Eliot "Preludes" (1917) × Perfume "TOKYO GIRL" (2017)

1. はじめに~詩を読む?~

先日、久しぶりに母校に帰り、高校3年間に渡り仲良くしていただいた先生と再会しました。

 

 

「最近、何を研究しているのかをわかりやすく教えて」と言われたので、ここ最近で一番真剣に取り組んでいるであろう『Go! プリンセスプリキュア』を始めとする「プリキュア批評」の話をしました。在学中から基本的にしょーもない話をしていた間柄だったのですが、5年ぶりくらいに「お前は馬鹿だな」をいただきました。

 

 

このように完全に「プリキュアオタク・マニアック批評ブログ」と化している本ブログですが、本年最後の更新は、さすがに、日々研究している詩の話をしたくなりました。一応の本筋(「英詩を研究している大学院生のブログ」)を見失わないためと、誰かにすごく話したいものの紹介する場を失ってしまった研究成果を供養するためです。

 

 

 

修士になってから、日常で詩を読む量が学部のときよりもぐっと多くなりました。毎日、何かしらの詩に触れていたような気がします。

 

 

そういうわけで今年もたくさんの詩を読んできたのですが、今回は数ある詩の中でも今年に大きな印象を残した詩、Thomas Stearns Eliot (1888-1965) の "Preludes" (1917) *1という作品を紹介します。

 

 

 

ところで、「詩を読む」こと自体が相当マニアックだという自覚があります。

 

私は詩を読むことが本業の研究であると同時に詩を読むことを趣味としても楽しんでいるのですが、「私の趣味は詩を読むことです」などとあまり気安く言える気がしません。もし初対面の相手にこんな自己紹介をしてしまったならば、初っぱなから超えがたい壁を作ってしまうこと必至です。

 

ですが、「歌の歌詞」はかなり多くの人も日常的に触れている身近な詩だと言えるのではないでしょうか。好きなアーティスト、好きなジャンル、日常的によく聴く好きな歌ならなんでもいいと思うのです。歌に載せて言葉は何を伝えようとしているのか、歌詞に少し注意を払うだけで、詩の面白さや奥深さを結構手軽に味わうことができるのではないかと考えています。

 

僕がお世話になっている先生が、詩の授業で「詩を教室の外に持ち出すこと」の大切さを語っていました。詩は、教室の中でみんなで難しい顔をして読まなければならないものではありません。もっと簡単に、身近に、詩を楽しむことがあってしかるべきだと思います。

 

というわけで、今回は T.S.Eliot の "Preludes" を、Perfume の "TOKYO GIRL" と絡めて論じていこうと思います。面白いことに、この2つの詩の間にはちょうど100年の隔たりがあります。そして、どちらの詩も「都市」をテーマとしています。100年前の都市と、現在の都市の表象は、どのように違っていて、どのように一緒なのでしょうか。このことに注目して、なるべくわかりやすく、面白いポイントだけを取り出して論じられればと思うので、ぜひ最後までお付き合いいただけますと幸いです。

 

2. 「無数の手」「情報を掻き分ける熱帯魚」

 

Thomas Stearns Eliot, "Preludes" 

I
The winter evening settles down
With smell of steaks in passageways.
Six o’clock.
The burnt-out ends of smoky days.
And now a gusty shower wraps
The grimy scraps
Of withered leaves about your feet
And newspapers from vacant lots;
The showers beat
On broken blinds and chimney-pots,
And at the corner of the street
A lonely cab-horse steams and stamps.

And then the lighting of the lamps.

 

II
The morning comes to consciousness
Of faint stale smells of beer
From the sawdust-trampled street
With all its muddy feet that press
To early coffee-stands.
With the other masquerades
That time resumes,
One thinks of all the hands
That are raising dingy shades
In a thousand furnished rooms.

 

III
You tossed a blanket from the bed,
You lay upon your back, and waited;
You dozed, and watched the night revealing
The thousand sordid images
Of which your soul was constituted;
They flickered against the ceiling.
And when all the world came back
And the light crept up between the shutters
And you heard the sparrows in the gutters,
You had such a vision of the street
As the street hardly understands;
Sitting along the bed’s edge, where
You curled the papers from your hair,
Or clasped the yellow soles of feet
In the palms of both soiled hands.

 

IV
His soul stretched tight across the skies
That fade behind a city block,
Or trampled by insistent feet
At four and five and six o’clock;
And short square fingers stuffing pipes,
And evening newspapers, and eyes
Assured of certain certainties,
The conscience of a blackened street
Impatient to assume the world.

I am moved by fancies that are curled
Around these images, and cling:
The notion of some infinitely gentle
Infinitely suffering thing.

Wipe your hand across your mouth, and laugh;
The worlds revolve like ancient women
Gathering fuel in vacant lots.

 

from Preludes by T. S. Eliot | Poetry Foundation

 

T. S. エリオット「前奏曲集」

I

冬の日暮れが進んでいき

通りからは肉の焼ける匂いがする。

六時。

煙っぽい一日の疲れ切った終わりである。

そして今にわか雨が突風にあおられて

君の足の周りのしなびた葉っぱと

がらんどうの敷地から吹き寄せられた新聞のかたまりを包み込む

雨は壊れた鎧戸や煙突の頂点を打ち付ける

道の隅では

孤独なタクシー馬車の馬が湯気を立て、脚をあがいている

やがてランプに灯がともる

 

II

朝が来て意識にのぼるのは

朝早くコーヒースタンドに駆け込む

大勢の泥だらけの脚によって踏みつけられた

おが屑が撒かれた通りから漂ってくる

気の抜けたビールの匂い

他にも多数ある仮面舞踏会を

時が再び始めると

思い浮かべるのは無数の手

無数の家具つきアパートの部屋で

汚れたブラインドを押し上げる無数の手

 

III

君はベッドからブランケットをはねのけ

仰向けに寝ながら待っていた

まどろみながら、君の魂が構成されている

無数の汚いイメージを夜が明らかにしているのを見ている

天井で明滅する

そして世界が戻ってきて、光がシャッターの隙間から忍び寄り

溝にいる雀の鳴き声を聴いたときに

道自身もほとんど理解していないような

道のヴィジョンを君は見る

髪の毛にカール・ペーパーをつけていた

ベッドの端に座りながら、

あるいは汚れた両手の手のひらで

黄色い足の裏をつかんだ

 

IV

彼の魂は空に向かってぴんと張り

街の区画の後ろへと色あせていく

あるいは執拗に踏みつけられて

四時、五時、六時。

パイプを詰める短い指。

夕方の新聞紙、ある種の確実性を持っている目。

しきりに世界を掴もうとする

黒ずんでいく通りの良心

 

私はこれらのイメージの周りにからみつく想念に

心動かされ、そしてとりつく

何かしら限りなく優しく

限りなく苦悩する考えに

 

その手で口をぬぐって、笑え

世界、世界、世界はまわる

空き地で薪を拾う古代の女性のように

 

エリオットの時代、文学の世界では「イマジズム」という手法が流行っていました。

 

映画のワンシーンの中で様々なモノやイメージをつなげることでシーンが成立していく、あの感じをイメージすると近いのではないかと思います(また、20世紀前半は映画の技術が発展していく時でもありました)。

 

特に、Section I では「葉っぱと新聞のかたまり」「壊れた鎧戸や煙突」「馬」「ランプ」などと視点が次々へと移り変わる様子が見て取れます。

 

詩全体を通して多数散りばめられているイメージ群の中でも、ひときわ目をひくのは Section II の最後に出てくる「無数の家具付きアパートの部屋で汚れたブラインドを押し上げる無数の手」です。

 

ここは、朝がやってきて日が昇り、集合住宅の家々が揃って窓にかかるブラインドを押し上げる様子を描写しているのですが、外からその光景を見ているためなのか、無数の手しか見えないという描写がなされており、この詩全体に漂う不気味さを加速しています。

 

また、同じセクションで "masquarades"「仮面舞踏会」という、場違い感さえ漂う耳慣れない単語が登場します。「仮面舞踏会」は「仮面をつけて行う素顔の見えない社交パーティ」のことですが、「顔を見えなくさせる道具」としては現代の「マスク」も共通します。特に今の時期に顕著ですが、電車に乗るとマスクをしている人を多く見かけます。素顔の半分しか見えなくなるマスクは、自らの姿を人から隠す「仮面」としての役割も果たしているといえます。このような連想を働かせると、エリオットがこの詩で描いた20世紀初頭の都市の姿は、あながち現代も変わっていないという実感が沸いてきます。

 

この詩全体に漂うのは「生気のなさ」です。都市に生きる人々の姿に、なんだか生気がありません。

 

もっと突っ込んでいえば、人間が人間らしくありません。このことは、「足」「手」と人間の一部分の描写に終始する Section II、全然よくわからないものの寝起きの女性の描写らしきものが続く Section III が顕著です。

 

この想念をさらに突っ込んで、都市に生きる人々を描いたのが、今年発表されたPerfumeの一曲、中田ヤスタカ作詞・作曲の "TOKYO GIRL" です。

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中田ヤスタカ "TOKYO GIRL"

 

太陽が射しこむ街で目を覚ます

情報を掻き分ける熱帯魚

平凡を許してくれない水槽で

どんな風に気持ち良く泳げたら

 

Lighting Lighting 照らして

Singing 今日も着飾って

ハッピー Feeling good 見渡して

めいっぱいに手を伸ばして

 

踊れ Boom Boom TOKYO GIRL

色とりどりの恋

Let us be going! going! BOY

Kawaii と駆ける未来

踊れ Boom Boom TOKYO GIRL

廻る街 メリーゴーランド

彩りのサラウンド 奏でるわ

ここにいるあなたへ

 

夢見るTOKYO GIRL

 

たくさんのモノが行き交う街で

何気なく見てる風景に

なにかもの足りない特別な

未来を指差して求めてる

 

Lighting Lighting 照らして

Singing 今日も着飾って

ハッピー Feeling good 見渡して

めいっぱいに手を伸ばして

 

踊れ Boom Boom TOKYO GIRL

色とりどりの恋

Let us be going! going! BOY

Kawaii と駆ける未来

踊れ Boom Boom TOKYO GIRL

廻る街 メリーゴーランド

彩りのサラウンド 奏でるわ

ここにいるあなたへ

 

出典:『J-Lyric.net, Perfume "TOKYO GIRL"』

http://j-lyric.net/artist/a04cc66/l03e3cf.html

 

この歌で最初にずきゅーんと飛び込んでくるのが「太陽が射しこむ街で目を覚ます/情報を掻き分ける熱帯魚/平凡を許してくれない水槽で/どんな風に気持ち良く泳げたら」という最初の4行です。

 

この詩では、都市は「平凡を許してくれない水槽」に、人間は「情報を掻き分ける熱帯魚」に喩えられています。

 

このような鮮烈な比喩を提示したのち、歌はノリの良さを上げながら様々なイメージを展開させていきます。

 

サビの最後にある「ここにいるあなたへ」の歌詞に、頭を指差す振り付けがあてられているのが特に印象的です。この詩の主人公と思われる 「夢見るTOKYO GIRL」は、現実にいる「あなた」ではなく「ここ(脳内)にいるあなたへ」向かって「彩りのサラウンドを奏でる」と宣言しているのです。ここでも、「都市における人間の脱人間化」とでも呼ぶべき現象を認めることができます。

 

3. 「世界、世界、世界はまわる」「廻る街 メリーゴーランド」

"Preludes" に戻りますが、岩崎宗治訳『荒地』(東京:岩波文庫、2010年)において、訳者の岩崎氏が非常に的確な注釈を加えています。

 

「エリオットにとって都市とは、同じ時間に目覚まし時計の音で一斉に起き、事務所は工場に通勤する労働者たちがひしめく新しい世界、彼らの住む幾千ものアパートの窓のブラインドを押し上げる無数の『手』が、機械のように一斉に動く世界、であった。そこでは、人間は機械のように、『街』は『魂』と『良心』をもった人間のように、見えた」(155ページ)

 

"TOKYO GIRL" で見られた人間=熱帯魚、都市=水槽という変容は、 "Preludes" においては人間=機械、都市=人間というように対応しています。「道自身もほとんど理解していないような/道のヴィジョン」(III)であったり、「しきりに世界を掴もうとする/黒ずんでいく通りの良心」(IV)という表現が示す通り、詩人は「手」「足」と人間を外面的に描写するのに対し、都市には内面描写をこしらえています。

 

 

もう一つ。私が "Preludes" を大きく気に入ったのは、「世界、世界、世界はまわる」というところです。原文では、"The worlds revolve" となっており「世界」が複数形になっています。岩崎訳ではこの部分を「世界、世界、世界」と「世界」を3つ続ける形で表現しているのですが、これは本当に世界が廻っている感じが字面に表れている名訳だと思います。

 

 

"TOKYO GIRL" でも、「廻る街 メリーゴーランド」に「まわる」という言葉が現れます。

 

 

そうなんですよ、確かに都市は「廻って」います。

 

 

変化のめまぐるしさ、流れるスピードの速さ、行き交う人・モノ・情報の多さ。都市の様子は、全て「廻る」という語彙に集約されている気がします。

 

 

2つの詩には100年の隔たりがあるはずなのに、「まわる」という言葉が強烈なつながりを示しているように感じられるのです。

 

 

こういうのを目の当たりにして解きほぐすことができるのが、詩を研究していてとっても面白いなあと感じる瞬間です。

 

 

4. おわりに

 

院生になってまで詩を研究している理由は色々あるのですが、「詩と向き合うことは、言葉と真っ正面から向き合うことになる」というのが一番大きいと思います。

 

小さいころから言葉が好きだったのですが、今でも言葉の気になること、知りたいことがたくさんあります。「言葉についてもっと知りたい」という純粋な好奇心が今の自分の大部分を構成しているのではないかと感じるこの頃です。

 

 

そして、詩というジャンルは一番言葉本来の力がむき出しになるメディアだと思っています。それは、詩の単語一つを解釈するのに何時間も考えこんでしまう経験が裏付けています。私は小説を読むことも好きなのですが、研究の対象として小説よりも詩を選んだのは、「詩の方が言葉そのものについて考える比重が高い」ということにある気がします。

 

 

詩は、時間や空間を軽々と飛び越えて、今を生きる我々に言葉を伝えてくれるすごく大きな力を持っています。だから、詩を読んで考えることは面白いし、大好きです。

 

 

さて、本記事を通して少しでも皆さんが詩を身近に思えたとしたならば、詩を研究する者としてこれ以上の喜びはありません。

 

 

来年も、この研究室でたくさんの言葉を紡いでいきたいと考えております。来年もどうぞよろしくお願いいたします。最後までお付き合いいただきありがとうございました。

 

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↑純粋にいちPerfumeファンでもあるので紅白が楽しみです。

*1:この詩は1910年から数年間かけて完成された作品ですが、これを収めたエリオットの処女詩集の出版が1917年のため、今回は1917年の作品という紹介をいたしました。